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OVALPLAN20170924

連続講座「芸術は何処へ?」

マエストロの本音を聞く壮大な全9講座!!

第9回(最終回) 9月23日京都府立文化芸術会館ホール

パネルディスカッション

高階秀彌 山極寿一 岡田暁生 国分功一郎 猪木武徳 山本容子

進行:通崎睦美


1月から9回にわたり「芸術は何処へ?と題して、上記第9回の講師以外でも、青柳正規、楽吉左衛門、会田誠、井上道義、芳賀徹、片山九郎右衛門といった芸術と関わる人々が参加してディスカッションが繰り広げられた。


各回のディスカッションをダイジェストする力は無かったが、今回は最終回として上記の6名が一堂に会してディスカッションが繰り広げられ、想像以上の白熱したコメントが飛び交い、そして私にとっては「そうだったのか!」の納得の芸術とは?の回答も得たので、半日かけてまとめの1ページを書いてみた。


全体を通じて通底した「芸術は何処へ?」を私なりにダイジェストしてみると、、、

人類は感動の体験を誰かと共有したくて、持っている最高の技術を使って伝えようとしてきた。ラスコーの壁画は、その始まりだったのだろうし、地球上の様々な地域で紡ぎ出された「表現」は、感動を伝えよとした痕跡だったのだろう。やがて(近代)西欧においてはそれら表現は「芸術」という社会的価値感として扱われ、そこに個性を表現する芸術家を生み出していった。

しかし切磋琢磨した技術を使って表現する絵画や彫刻、音楽も、その技術の背景となるコード(約束事)の呪縛から脱出することはできないために、時間と空間を包摂する「感動体験」のほんの一部しか伝える事は出来ない、と言うジレンマが生まれていった。さらに現代は工業社会が生み出す産業的表現によって埋め尽くされ、個性のない均質世界となり、前衛たるべき個性表現も袋小路へと追い込まれてしまった。

さて、芸術は何処へ?

がこれまでの文脈で、

第9回のディスカッションは、添付資料を参照。

以下は私の個人的な感想。

●第3回と今回、山極寿一氏の講義を聴いて、この方が一番芸術を俯瞰的に捉えている、と思いました。当然と言えば当然なのですが、人類を超えてさらに祖先のゴリラの目線から、人類が言っている「芸術」とは、を俯瞰できるからなのでしょう。今回冒頭で「今回のメンバーで私は異質な存在!でも、だからこそ「芸術」について有用なコメントができると思う」と自分自身で述べられましたが、私の感想でも、最も芸術に対して俯瞰的で、科学的(さすが学者)で、歴史的な読み取りを提示された、と思います。「山極寿一の芸術論」が著述される可能性に期待したい。

今回スピーチの核

近世まで:芸術には個性無し

近代:芸術は個性表現の時代へ

現代:全ての物事が個性のない均質化世界になり、個性表現も極まってしまった

現代の情報化=データ化社会=均質性からの脱出が「芸術」の役割ではないか?

●音楽研究家岡田暁生氏は第4回に、フィリップ・ストレンジというジャズピアニストの演奏を通じて、ジャズが目差すオリジナルスタイル=個性について論を展開された。パトリシア・コパチンスカヤ、テオドール・クルレンティスといった、従来のクラシック音楽世界でもこれまでの枠組を壊して果敢に前衛に挑戦するミュージシャンを紹介した。

私も知らなかったクラシックの前衛をYouTubeを通じて、なるほど音楽の持つダイナミズムが、これまでの枠組=コードを外すことによって生み出すエネルギーを感じることができた。

今回の講演では、西欧音楽のドレミ音階コードに呪縛されているようでは、音楽芸術の行くへは限られる。そのコードは外していかなければならない、と自分自身のこれまでの呪縛からの脱出を宣言された姿に感銘した。

●高階秀彌氏はさすがの論客でした。西欧芸術だけかと思っていましたが、今回のまとめで古今東西芸術のジャンルは問いません、という博識を発揮された。

感動体験を人に伝える、その伝える方法として日本では「うつし」という技術の伝承技法として大事にされた。それは西欧における「コピー」ではない。「うつし」を通じて技術を繋いでいくことが芸術行為でもあった。

そこに見えない気持ちや感動を「うつし」とり伝えていく「つなぐ」が芸術の役割なのかも知れません。と、「芸術は何処へ?」全9回の講座を締めくくられました。

さすがでした。

そして、まさしくその「つなぐ」が、このブログやSNSによって広められている社会のプロトコル=作法となっていることに、なるほど!と思って会場を後にしました。

2017-02-26

「トランプへ贈る言葉 ─ 「我佛(ほとけ)隣の宝聟舅天下の軍(いくさ)人の善悪(よしあし)」」 「トランプへ贈る言葉 ─ 「我佛(ほとけ)隣の宝聟舅天下の軍(いくさ)人の善悪(よしあし)」」 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「トランプへ贈る言葉 ─ 「我佛(ほとけ)隣の宝聟舅天下の軍(いくさ)人の善悪(よしあし)」」 - 思考地図:OVALPLAN

利休の高弟に「山上宗二」という人がおられたそうです。利休の教えとして書いた「山上宗二記」天正16年(1588年)にあるこのの言葉によって、秀吉の怒りを買って非業の最期を遂げたそうです。


「我佛(ほとけ)隣の宝聟舅天下の軍(いくさ)人の善悪(よしあし)」

我佛・・自分の宗教の事・・宗教話の背景には、(宗教が教える)悟りを重ねた奢りが透いて見える。

隣の宝・・「隣」すなわち自分が気になることだけを宝のように言うのは、自分本位の我が儘。

聟舅(むこしゅうと)・・身内話は身内を知る間柄にしか通じない。

天下の軍・・誰もが知っている新聞やTVのトップニュースは退屈。

人の善悪・・善悪を評定するのは、上から目線を強く感じる。

茶事での「世間雑談」のマナーをしたためたものだそうですが、これほど幅広くタブーにすると何を話して良いのか疑問が湧く。しかし、敢えて秀吉の怒りを覚悟の上でたしなめたのには、これを言わなければならなくなっていった師匠利休の危機、すなわち「茶事」を政の機会に利用する悪しき習慣に対して、断じて許してはならないとの思いがあったからではないだろうか。


この言葉を思い出したのは、政の機会を利用しての悪しき企業体制が作られてきているという危機感から、勇気を振り絞っての諌言を試みたことがあったからです。40年も昔のことです。残念ながら若輩者が発すると、この言葉そのものに備わる奢りが浮き立ったのと、一方言葉が意味するところの(上記に示した解説の)解釈までは届かず、胡散霧消しただけに終わりました。そう、言葉を届けるには、相応の人が相応の場面で語るしかない、ということを学んだわけです。


最近にわかにマスコミと醜いバトルを繰り広げるトランプに献げる言葉はないものかと、上記のエピソードをふと思い出し、トランプにとっての利休や山上宗二に当たる人物がいれば、と思った次第です。

http://www.asahi.com/articles/ASK2V312ZK2VUHBI004.html

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2017-01-02

デザインランゲージ-創造行為の俯瞰 OVALPLANの2017年通奏テーマ [思考地図][小林] デザインランゲージ-創造行為の俯瞰 OVALPLANの2017年通奏テーマ [思考地図][小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - デザインランゲージ-創造行為の俯瞰 OVALPLANの2017年通奏テーマ [思考地図][小林] - 思考地図:OVALPLAN

世界の歴史では、それらをどう考えてきたのだろうか?

一方現代社会では、それをどう捉えているのだろうか?

自分が考えていることは、片寄っていないだろうか?

もっと違った角度の考えも有るのではないだろうか?

・・・・

物事の考えにたいして多面的に再検討することが多くなってきている。

そんなときに我々は、物事を俯瞰的に捉えることで対局する世界をさぐり、今考えていることの相対性から説明する、もしくは言い足りていないところを発見し補完する、といったことを実践している。特に近年は創造しようとする対象がアナログ世界からデジタル世界へと、さらにIoTによってデジタル世界から再びアナログ世界へと連携を拡大しようとしている。そこでは二次元から三次元へ、そして4次元、すなわち時間軸をもクリエイティブワークの実践領域に加え、未知なる創造領域をデザインフィールドにしようとしている。


この宇宙は[空間と時間]を持っている。

その宇宙は[機能と構造]によって記述できる。


この2つの軸[空間と時間][機能と構造]は、人類が掌握するもっとも根源的且つ抽象度の高い概念であろう。

そしてこの2軸の交点に、人類が生み出してきた全ての創造物を位置付けていくことができるのではないか。その結果見えてくる俯瞰によって、我々は恒常性へと向かうためのバランスの良い思考フレームを、獲得できるのではないだろうか。

そんな考えを巡らしながら、いにしえから伝わる文化を再認識し、現代的な創造行為の中へ組み込んでいく試みを、今年のOVALPLANの通奏テーマとしていきたいと思います。


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2016-09-06

名もなき石垣積み工の残した言葉[小林] 名もなき石垣積み工の残した言葉[小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 名もなき石垣積み工の残した言葉[小林] - 思考地図:OVALPLAN

鷲田清一は「しんがりの思想」の中で、以下の宮本常一が残した、名もなき石垣積み工の言葉を引用し、名を馳せることばかり気にしているリーダーシップ論ではなく、名もなき職人の矜持こそが、次世代へ残していく大事な心であろうと述べている。

以下「しんがりの思想」より引用

金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。ことに冬など川の中などでやる仕事は、泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくはない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに:しかし石垣つみは仕事をやっているとやはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある、やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ。

広島県・西条高原の西高屋の近くで出会ったある石工の言葉として、宮本が『庶民の発見」(一九六一年)のなかで記録しているものである。「ほめられなくても自分の気のすむような仕事はしたいものだ」とも、この職人は語っている。この言葉を承けて、宮本はこう書きついでいた。「誰に命令せられるのでもなく、自らが自らに命令することのできる尊さをこの人たちは自分の仕事を通して学びとっているようである」、と。石工は、田舎を歩いていて見事な石の積み方に心打たれ、将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいとおもった。このとき、石工のこだわりはじつに未来の職人に宛てられていた。これに対して、目先の評判や利害ではなく、何十年か先の世代に見られてもけっして恥ずかしくない仕事を、というそのような矜持をもって仕事に向かうひとがうんと減ったのが現代である。未来世代のことをまずは案じる、そういう心持ちをほとんど失っているのが現代である。

以上、引用はここまで。

この石垣積み工の生き様を私も、と思ったときに愕然とするのは、現代社会はあらゆるものを消耗品化していくパラダイムとなってしまっていて、良い仕事を次世代へ残そうと思っても、一年、半年、いや最近はシーズン毎にファッションの如く物事を捨てながら生きている、という状況が目の前に広がっている。

それでも何か自分なりの矜持を示す(と思うことも奢りかも知れないが)、今現在出なくても過去に示してきたことでも、書き残しておきたいと思っています。

2016-05-06

大きなうねりに覆い尽くされる感覚[小林] 大きなうねりに覆い尽くされる感覚[小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 大きなうねりに覆い尽くされる感覚[小林] - 思考地図:OVALPLAN

物事の始まりと終わりを、例えばOVALPLANが生きてきたインタフェースの30年を例に概観すると・・・

インタフェースの源流となったParcのStarからApple Macintoshが1984年に生まれたころ、私はリコー社のオフィスワープロや電子ファイルの使いやすさをテーマにしたインタフェースの先駆的プロジェクトに関わっていました。そして1986〜87年頃複合機(IMAGIO)のインタフェースをリコー尾上氏とGK大草さんが概念設計込みで構築し、オフィスの複合機を操作するためのインタフェースモデルを生み出しました。機械と人を「操作」で結ぶためのインタフェース時代の始まりです。銀行ATM、駅券売機、多機能電話等、数多くの機器インタフェースを手がけていきました。

その後、パソコン通信がインターネットへと進化したとき、HTMLというプログラムを作ってmosaicというブラウザが生み出され、ホームページという概念モデルが誕生し、OVALでもIBMホームページビルダー、京都府観光情報提供システム、JR東海新幹線予約システムなど、時代を象徴するインタフェースを生み出していました。そのインターネットとインタフェースというモデルが2000年頃にはスタンダード化し、やがてiPadからiPhone=スマホのアプリがインタフェース世界を一気に覆い尽くしてしまいました。

何が何を覆い尽くしたかと言うと、80年代から90年代インタフェース黎明期から成長期の、多様性を俯瞰的に描き出す全体構造の概念モデルと、ステップバイステップでゴールへと導くためのレイアウトパターンの展開、といった作法論を押し出した道具的インタフェースが、道具では無く情報コンテンツが主役となることで、悠長な作法論など入る余地は無い、全ては朗々と流れる川のような一過性のインタラクションによって覆い尽くされた、ということです。


実はこの、大きな流れに覆い尽くされる感覚は二度目の体験なのです。一度目は、オーディオでした。

1960年代にラジオや蓄音機といってた時代に我が師柴田さんはPioneerC-600というリビングオーディオの先駆的デザインを生み出され、その後を受け継いだ(先輩)井上さんと私(KDCチーム)はセントレートというモダンテーストのセパレートステレオを70年代に手がけ、その後コンポやコンパクトオーディオ、ラジカセが一気に広がり、80年代ウォークマンのヒット以後はパーソナルな時代へと突入し、CD化によって音源の手軽さを獲得、やがて2000年以降iPodからiPhoneの中へと吸収されて、オーディオという世界はスマホの中の一アプリとなりました。あの音量ボリュームノブのフライホイール感覚を大事にした指掛かりの微妙なローレットデザインの時代が偲ばれます。(ノスタルジーです)


さて、次の盛衰は・・・どうやらIoTは始まりの始まりかも、、、

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2015-09-02

「まねるとまなぶについて」その1[小林] 「まねるとまなぶについて」その1[小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「まねるとまなぶについて」その1[小林] - 思考地図:OVALPLAN

オリンピックエンブレムが類似疑惑のせいで白紙撤回されましたが、デザイナーのモラルが低いとデザイナーだけのせいにしてはいけない!

といってデザイナーのクセしてデザイナーの擁護をしては、擁護にならないし、逆効果だと叱られそうですが、ここは敢えて40年以上もデザインの現場を歩いてきた者として、「真似ることと学ぶことの狭間について」をデザイン現場からの告白としてコメントしておきたい、と思います。


添付の写真をご覧いただきたい。アウディとトヨタクラウンのフロントグリル、ボルボとホンダフィットのテールランプ。

この程度のニアミスが、日常茶飯事のようにデザイン界では見ることができるが、実は今に始まったことではない。私がデザインの実践の場で働き始めた頃、自動車ではStyleAutoという輸入雑誌があって、イタリアのカロツェリアでデザインされた先進的スタイリングが紹介されていて、日本のデザイナーはそれをベンチマークにしていました。ですから、これはあのパクリだな〜と思えるスタイリングは、まれなことではありませんでした。


告白しておきますと、私は当時某大手オーディオメーカーのデザインを担当していましたが、私はヨーロッパのオーディオデザインに感化されていましたので、結果的にディーテールでは一種の技法として真似ることがよくありました。ダイアルの配置やノブのデザイン、何より間が大事なデザインのツボでしたが、真似にはならないようにと思っていてもオリジナルに惚れてますから、どうしても似てしまいます。くそ〜もっとオリジナリティのあるスタイリングを・・・と何枚も何枚もスケッチを描くのですが、そんな簡単にオリジナルイメージが生み出せることは、ありませんでした。結局どこか惚れているモノに似ているスケッチが、やっぱり優れているように思える、、、この感覚は、(当時はまだ日本は)デザイン後進国で、西欧デザイン先進国を手本として学んでいた体験者にしかわからない感覚だと思います。

だからそんな葛藤の中で出てきたデザインなので、結果として似ていたときには同情を・・・そんな甘く切ないゴールを迎えたときもありました。


がしかし、そんな甘い考えを払拭するムチを与えてくれたのは、以前もこのFBで書きました私のボスでした。「どう?良いのできた?」とプレゼンの前日の夜遅くに祇園の御茶屋からほろ酔い気分で帰ってきたボスが、我々デザイナーが何日も苦労して描いてきたスケッチを見渡して、「ふ〜ん・・・なんか見たことあるのばっかりだね!」と言って「明日よろしく〜〜」と帰って行かれたのです。

しばし我らデザイナーは沈黙の時間が流れ、やおら上司が「小林くん、最後の一滴。ここにないのを一枚ずつ描こう!」と、翌朝新幹線の始発に間に合う時間までの数時間を、ここに無い全く新しいデザインを・・・


ものまねを超えることの難しさと、ものまねを超えることの潔さを我々は学んで来ましたが、悲しいかなものまねに対する潔い決別の方法は、伝授されてこなかったのかもしれない、と思う次第です。(・・・つづく)

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2015-07-14

「後戻り不可能な事態」 [日本論][プロフェッショナル][オギュスタン・ベルク][小林] 「後戻り不可能な事態」 [日本論][プロフェッショナル][オギュスタン・ベルク][小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「後戻り不可能な事態」 [日本論][プロフェッショナル][オギュスタン・ベルク][小林] - 思考地図:OVALPLAN

日本が一番危険な状況が、いとも簡単に起こってしまいました。

この記事でレポートされている競技場のデザインと工費についてのバカバカしさについてではなく(それはそれで語ってもただ虚しさだけが残るのでパスします)、こうした「後戻りできない事態」しかも国家的な次元での「後戻り不可能な事態」を招いてしまっていることに、いらだちと怒りと、そしてどうすることもできないという意味において「悲しむしかできない事態」となってしまっていることが残念であります。そしてその残念な事態を(恐らく昔のオリンピックで活躍した丹下健三氏を代表にした)特別な知的集団として多くの国民から尊敬も集めてきたであろう「建築家」という集団が関与する形で起こってしまったことに、驚きと同時に、「なんでやねん」と安藤忠雄は工費について(審査員という役割を放棄したかのように)つぶやいているが、私はこうした「後戻り不可能な事態」を招いてしまったことに「何でやねん???」と本気で突っ込みさせていただきたいと思うわけです!!!


すなわち、この「後戻りできない事態」を招いた諸々の原因(個々には納得いく理由が提示されたとしても)が流れていく中で「どのような時点から後戻りできなくしてしまったのか」そして「後戻り困難な状況を招く原因」をきちんと総括しておかないと、また真珠湾攻撃などといった愚行を犯してしまいかねないと思うからです。そう、あのときも「戦争を反対できる空気は無かった」と代議士、大学や文化人などの知的集団が、戦後恥ずかしげも無く吐露して逃げおおせてしまっている日本が「またやっぱり再現されるのか・・・」はなんとしても避けたいと思うのです。


だから、この度の国立競技場のデザインと工費の「後戻り不可能な事態」を招いていしまったことは「日本が一番危険な状況をいとも簡単に起こってしまっている」と解釈し、その原因を誰かが究明し、日本国中の人々に教え、もう二度とあの愚行を再現しないよう全ての国民が共通理解としておかなくてはならない、と考えます。


このところFacebookで連載しています「プロフェッショナルについて」のコメントは、上記の「後戻り不可能な事態」を生み出さないための最も重要なコンセプトを学んでおきたいとの思いで書いており、ブログ「思考地図」のオギュスタン・ベルクの項を参照いただけたら幸いです。

http://oval-plan.g.hatena.ne.jp/OVALPLAN/

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また、「空間の日本文化」には、フランス人にして日本のその愚行を徹底的に分析していて、(難解なのは残念ではありますが)日本人は真摯に耳を傾けるべきだと思います。少なくとも「後戻り不可能な事態」を避けるためには、日本の知識社会の進化によってしか実現不可能なわけですから、少々難解だとしてもなんとしても読込、そこから日本人自分自身の悲しい性を徹底して理解した上での処方箋を、みんなでディスカッションしていくべきだと考えます。

2014-07-31

「思考地図」-1.概念マップについて [思考地図][小林] 「思考地図」-1.概念マップについて [思考地図][小林] - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「思考地図」-1.概念マップについて [思考地図][小林] - 思考地図:OVALPLAN

 コンピュータとネットワークの技術革新によって知識環境は飛躍的に膨張拡大し、同時にバザール型漸次更新集合知「Wikipedia」を生み出した。さらに近年は、限りなくリアルタイムに近い「Twitter」や「YouTube」といったコンシューマジェネレーテッドな情報共有へと進化し続けている。

こうした多元的で動的な情報環境に対して受動的な状況だけでは、その場その場で一喜一憂し情報に流されていくだけになってしまう。せっかく革新的な技術進化を手に入れているにも関わらず、従来メディアで培ってきた大事なナレッジを捨てていくことになりかねない。

 この様なめまぐるしい変化や過剰な情報に対して、客観的視点を持つ方法として「俯瞰」がある。情報共有のための意味空間配置フレーム「思考地図」は、刻々と変化する動的な環境の状況把握や、その分析から戦略構想まで汎用的に適用できる、意味空間ハンドリングのための「俯瞰」の手法である。ヒューマンインタフェース学会シンポジウムで発表している論文をベースに、「思考地図」について改めて解説をしていきたい。


 概念マップについて

 知識や情報の関係性を空間配置することによって、文章では伝えにくい複雑な概念を容易に表現することができる。こうした空間配置による意味構成は一般的に「概念マップ」と呼称されている。様々な概念マップを比較し、その特徴と可能性を探ってみる。(図1概念マップの比較参照)

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 ここで取り上げる概念マップは以下の6種類。

1.マインドマップ[1]

自分のイメージを中心に放射状に発想を描いていく図解表現技法で、頭の中にある複雑な概念をコンパクトに且つ素早く描くことができる。

2.トピックマップ[2]

情報を表す要素として、トピック、関連、出現がある。マインドマップ、コンセプトマップと同等の発想表現法だがトピックマップはISO標準である。

3.コンセプトマップ(概念地図法)[3]

一連の概念(名詞の場合が多い)をフレーズや動詞で結びつける形式を取る。このコンセプトマップは教育現場で利用が広がっている。

4.空間象徴図式[4]

通称「バウム(樹木画)テスト」と呼ばれ、白紙の紙に実のなる樹を描いて、その樹の配置や形から心理状態を分析する分析指標としてGrünwaldの空間象徴と呼ぶ概念配置図が用いられる。

5.プロダクト・ポートフォリオ[5]

市場成長率と市場占有率のマトリックス上に自社製品を配置し、各象限毎の事業の位置づけを判断していくための、事業戦略マネージメントフレーム。

6.知識スパイラル(SECIモデル)[6]

「個人の知識を組織的に共有し、より高次の知識を生み出す」ということを主眼に置いたナレッジ・マネジメントを実現するフレームワークとプロセスのモデル。


 概念マップの二つのタイプ

 上記の概念マップを比較し、それらの特徴とその機能と役割を探ってみる。図1に示すように概念マップの空間利用方法は大きく2種類ある。

図の上部に配置したマインドマップ、トピックマップ、コンセプトマップに共通して認められる特徴は、個々の概念間の順序、関連、包含といった関係性を表現するために空間配置を利用していることである。個々の概念の意味連関によって漸次生成され、内から外へ拡張しながら構築していく概念マップである。これを「意味関係記述型概念マップ」と呼ぶことにする。

 これに対して、空間象徴図式、プロダクト・ポートフォリオ、知識スパイラルは、空間全体の左右上下方向に対概念を持たせた空間フレームを構成し、その空間フレーム内に相対的に概念やイメージを配置するマップで、上下左右の2軸の空間フレーム内に意味を創出し、その創出された意味空間に様々なイメージや概念をプロットしていくという、外から内へと構成していく概念マップである。これを「空間フレーム型概念マップ」と呼ぶことにする。

 前者の内から外へと構築する意味関係記述型概念マップは、頭の中での思考を外在化する用途として使われている。そのため結果としてできあがる概念マップは個人性が高く、本人以外の者にとっては理解しにくいケースが多くなる。もちろん頭の中にある暗黙知を形式知に変換する第一歩のところで使うマップなので、最初から形式知としての普遍性を要求する必要はないし、普遍性を意識して最初からマッピングすると、本来の思考の自由な抽出は難しい。

これに対して、後者は空間フレームに付された軸概念が先にあるため、その座標軸を理解することによって、概念マップの役割が理解でき、その後に空間フレーム内の個々の情報とフレーム概念との相対的な関係で理解を深めていくことができるため、全体俯瞰から部分へという情報提供の仕組みを持っているといえる。

本論で展開する思考地図は、情報共有を目的とした俯瞰フレームであり、その意味で空間フレーム型概念マップに位置づけられるものである。


 空間象徴図式

 コッホによるバウムテスト[4]は、Grünwaldの「空間象徴図式」(図1左下)を背景とした心理臨床テストで、人間の心理と空間イメージの関係図式を利用したテストとして世界的に有名であり、人間の頭の中に空間配置の法則が暗黙知としてあることを教えてくれる。

その空間象徴図式は半世紀ほど前の発表だが、近年日本でも統計的な手法を使った研究がなされ、言葉と空間の関係性について、細部での留意すべき点の指摘と同時に基本的な空間象徴性についての実験が報告されている。

 空間象徴図式は、人間誰もが経験する成長プロセスを背景としている。例えば上下の意味関係は大地(下方)に対して上方へ成長する姿から生まれ、それは樹木の成長と符合しているところからバウム(樹木画)テストが生まれている。また、左右に対しては、右利き優位が右方向の能動性に関係している、文書記述が左から右への移動を基本にしている、右脳は左空間を処理していて、左脳=右空間よりも受動的反応力の優位性が認められる、などの諸説がある。

 このような空間象徴性を背景に、我々は日常使っている言葉においても方向性をイメージしている。例えば「空気」は上方で「大地」は下方、「過去」は左で「未来」は右方向へのイメージスキーマを持っている、など。こうした言葉と空間の関係性に関して、空間メタファーを中心に言語の仕組みをひもといた瀬戸の研究では[10]、洋の東西を問わず言語の世界では、空間を表す言葉を概念に利用し、分かりやすく意味を伝えようとしていることが報告されている。言語という思考の基盤と空間象徴の密接な関係を示す研究として参考になる。

またこうした人間共通の空間認識は日常の中に暗黙知として組み込まれており、ビジネス世界での多くのフレームワーク(例えば図1の空間フレーム型概念マップに入っている知識スパイラルなど)にも、左右上下の概念の共通性が認められる。


 空間フレーム型概念マップの課題

 以上のように空間象徴図式は人類共通の空間認識であり、普遍性の高い思考モデルとして様々な用途に利用されるべきである。特に先に見た「意味関係記述型概念マップ」と「空間フレーム型概念マップ」とを統合して使うと、フレーム共有を図りながら個々の意味記述もできるという、高度な利用が可能な概念マップが考えられる。しかし、空間象徴図式が1970年にバウムテストで利用されてから既に40年経っているにも関わらず、ビジネス世界で空間象徴図式をベースとした概念マップを利用している事例は少ない。時々同じような左右上下の座標を見かけることはあるが、空間象徴図式のような空間フレームとしてきちんと解説したものはまだ見かけない。

 筆者が2軸の空間フレームを考察し始めたのは20数年前に遡り、主にビジネス雑誌や書籍の中で表現されている概念マップに注目し収集を始めた。当時2軸を使った空間フレームで分析した概念マップを多く収集できたのは、意図的に収集したからだとは思うが、その初期の恩恵を差し引いたとしても、2軸の空間フレーム型概念マップを見かけることは、徐々に少なくなってきている気がする。

その要因として、二つあげておきたい。

 ひとつはメディア技術の特性要因で、コンピュータやネットワークが、テキストをハンドリングすることをベースに作られていて、空間フレーム型概念マップを記述し通信共有するのは簡単ではない、というところにある。コンピュータやネットワークのプログラミングも、また日常利用するワープロや文書の多くも、テキストベースでのハンドリングが前提である。それでもパソコンやインターネットが登場した頃とは見違えるほど図や映像のハンドリングは容易になってきてはいるが、紙媒体と手書きをベースにとしてきた1980年代までのメディアとは、空間表現に対する自由度は大きく異なっている。

 もう一つは空間図式の記述と解釈の難しさである。特に空間象徴図式の上下軸に配置した言葉と意味は抽象度が高く難しい。2軸フレームで4象限に付された言葉や意味も、心理世界との符合を背景に書かれた言葉が多く、ビジネス世界で流用するには難解である。また、プロダクト・ポートフォリオ、知識スパイラルでも、テキスト世界の文法のような構造モデルが存在しないことが、要因として大きいのではないかと考えている。


 参考文献

[1] T.ブザン,B.ブザン:ザ・マインドマップ, ダイヤモンド社(2005)

[2] 内藤, 加藤ら編著:トピックマップ入門, 東京電機大学出版局(2006)

[3] J. D. Novak:http://www.ihmc.us/groups/jnovak/

[4] C.コッホ:林, 国吉, 一谷(訳): バウム・テスト-樹木画による人格診断法,日本文化科学社,(1970).

[5] 大前:企業参謀, プレジデント社, (1991)

[6] 野中,竹内:知識創造企業,東洋経済新聞社, (1996)

2014-07-29

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 「今地球の生態系は、増えすぎた人類の重さに耐えかねて、土台から崩れ落ちようとしている。最も危険にさらされているのは、恐らく私たち自身なのだろう。未来へつながる道は、過去に歩んできた道の先ある。今私たちにできるのは、歴史に何を学ぶべきなのかを自問し、「いったい地球で何が起こったのか」を問いつづけることである。


 「137億年の物語」宇宙が始まってから今日までの全歴史─クリストファー・ロイド、約500頁の歴史書の「エピローグ」はこのように結ばれている。本書は2012年9月の発行で、テレビ東京系列でテレビ番組もあったようだ。私が購入したのは2013年9月で約1年後。ほぼ毎日自作サンドイッチを食べる昼食のお供として数頁ずつ読み続け、約10ヶ月で読み切ることができた。


 頭が固くなった私には記憶にとどめておくには多すぎるほど、初めて知ったことが多かった。読書だけでなく記憶というのは近いほど明瞭に残っているもので、その意味では最後の50頁ほど、年代にして200年ほど前からの人類の歴史に、大きな衝撃を受けた。今まで歴史というものを断片的に知っていただけだ、と言うことが分かった。断片が断片のままではわかり得ない知識が、この書物によって獲得できた。断片ではなく、延々と続いた連続する流れの中でようやく生まれた衝撃だ。「長い長い連続」という俯瞰を、この歳にして初めて経験することができた。そして、クリストファー・ロイド氏が言ったように「いったい地球で何が起こったのか」を問いつづけて行きたい、と今考えている。

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2013-11-04

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この半世紀余りで、JAZZとDESIGNは歩調を合わせるように薄っぺらいものへと変化した。JAZZの世界ではマイルスが生み出してきたようなスタイル重視から、スタイルが粉々にミキシングされたFusionへ、DESIGNの世界では構造と機能の重視から見た目やブランド価値へ、それぞれ変化していった。この変化をどう捉えたらいいのだろう。時代は流れていくものなので、昔の人間にとっては古き良き時代がなくなり、若者に受ける世界へ変わっていくもの。変化自体は昔も今も変わらず川の流れのように必ずあるもの、、、不可逆、ただそれだけなのかな〜と思っていたら、どんな旧型からどんな新型へ変化していったのかを分析した本が出ていた。「日本人には二種類いる-1960年の断層」岩村暢子、新潮新書は、60年生まれ以前と以後の世代間ギャップについて解説してくれている。


旧型=我々団塊世代は、戦後体制のパラダイムシフトに自ら積極的に参画し、生活における西欧文化の吸収を日常としてきた。しかし、その背景に流れる日本人的な精神や美意識、といった多くの日本人論で語られてきた意識構造は、日本人である以上忘れてはいけない大事な分母として生きてきた、と思っていた。がしかし、そんな通底していると思っていた日本的なる意識構造も、我々旧型=60年以前の生まれと以後=新型の生まれでは大きく分断されている、ということが上記著書によってあきらかにされている。具体的な社会事例を挙げながらの35種類という豊富な断面として解説されていて、概ね異存がない世代論だ。旧型と新型がお互いの理解を深めるためにもこの論を共有し、(恐らくデジタル世代の1990年〜2000年以降生まれの)次なる新型世代へ申し送りできる努力をすべきだと考える。そうすれば、無くすべきではない日本的なる価値観や意識構造をも(隔世遺伝的に)復興できる局面もあるのではないか、と期待しつつ我が子や孫世代と語って行きたいと思う。


本来のJAZZが生み出してきたスイングとは・・・

本来のDESIGNが生み出してきたファンクショナリズムとは・・・


今ここに聞いてくれる人はいなくても、未来に向けて書き残しておこう!