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2012-11-04

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─14 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─14 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─14 - 思考地図:OVALPLAN

「ⅩⅣ 上記二つの場合(社会的なもの、物質的なもの)、連絡は、意味域が均質空間になっていること(形式主義によって)により樹立される。集団及びその物質的枠組み(居住界隈、村、会社、家屋)の細胞性の代償としては、形式主義に培われた記号の均質性がある。かくて自然(それぞれの集団はそこに根付いている)及び記号(各集団はリーダーという水路を通じてそれを流入させている)両者のメタフォリックな直接性が、社会関係の間接性とバランスを保っている。これは次の図式で示すことができよう。」

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 オギュスタンベルグとしては、この14番目の結論に多くの意味を注ぎ込んでいるのだろうが、残念ながら私にはまだこの結論で書かれている全体を咀嚼することはできていない。おそらく添付された図式の意味も、結論のテクストによって正しく解読できると思うが、前項までの文脈から大方の意味を解説してみたい。

 

 家族や地域、企業も、集団組織においては「内」と「外」の区別に最上位の意識が傾けられている。よって、集団と集団は「外」「外」の関係で、お互いの交流はおろかむしろ排斥する関係となっている。但しその社会的な関係では、お互いの価値観に準拠するが故に相反発し合うこととなる。


 例えば、隣の家は私の家と違って何々を持っているが、その替わり私たちは何々を持っている、という具合にひたすらその差異を意識しているが、結果的には差異以外の大半において同じであることが前提となっている。同じであるが故に些細な差異に意識が集まり、結果的にその小さな差異を最大化する意識へと拡大することになり、そこから小さな差異を土俵にして排斥し合う意識構造が生まれることとなる。


 個々の集団が「内」に向かえば、個性豊かな「個」へと向かうはずなのに、同等の「個」になる理由は、日本の根本的価値が「自然」を基盤にしているからである。(この「自然」指向は「空間の日本文化」の底流である)


 以上が、図式の「社会」レイヤーと「自然」レイヤーの捉え方である。


 次に、図式の「意味域」レイヤーについては、「社会」レイヤーではお互いが排斥し合う集団においても上下方向には解放していて、特に上流の媒介者を通じることによって共通する形式主義=礼儀作法を重んじるが故に、排斥し合う集団が連携することが可能となる、と示されている。


 以上が図式に込められた「空間の日本文化」の最後=ⅩⅣ番目の結論であるが、この結論はあくまでも「日本的範列」として書かれたもので、本分で書かれている内容にはより多くの興味深い日本的なる文化性について書かれている。その日本文化について、さらに読み取りを継続していきたい。


 つづく