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2012-07-07

[][][]「銃・病原菌・鉄」 「銃・病原菌・鉄」 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「銃・病原菌・鉄」 - 思考地図:OVALPLAN

「銃・病原菌・鉄」ジャレド・ダイアモンドのベストセラーが文庫になったので読んでいる。http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャレド・ダイアモンド

13000年前を中心にした人類史。なぜ現在の地球上の文明社会が、矛盾に満ちながらこのような社会として存在しているのか。そんな問いを、何故米国の生物学者が想起したのか。いずれにしろ、すべての先進国(この言い方には問題があるが)の人には読んで欲しい一冊だ。

2012-06-15

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 - 思考地図:OVALPLAN

 前回から一ヶ月あいてしまいましたが、前回の-8に繋がった内容です。


「Ⅸ この二つの傾向(構築されたものの形式化と、文化の自然との同化)は、物質的なものに対する社会的なものの関係すべてにわたってみられ、物質的なもの(外包物)と社会的なもの(内容物)の間のたえざる換喩(メトニミー)関係に姿を現している。この事実から、社会的なものは、その具体的な枠組みと同一化する(家屋はそのまま家族であり、農地はそのまま村落共同体である)。この同一化は結果として、社会的な種々の要素をそれぞれの場所に深く根付かせることになる(この点では場所中心主義も参与する)。それと同じ同一化が、社会的なものを生物的なものに結びつけ(集団同士の関係の擬血縁性、コンセンサス)、類似の結果を生む(隣接する集団に対する集団の明確な自己確立、集団中心主義)。」


 「物質的なもの(外包物)と社会的なもの(内容物)の間のたえざる換喩(メトニミー)関係に姿を現している。」

隠喩・換喩・提喩の違いはネットで見て頂くとして、一部を持って全体を指し示す換喩(メトニミー)は、省略化、単純化を推し進め「ひとつのモノで多くのコトを象徴」する。例えば「僕の家では・・・」と言うとき、「家」は家屋という形をさすと同時に家族のことや家庭の風俗習慣全てを包含したものを指し示す。「家」という存在は家族とその生活全般の象徴なのである。象徴として扱われるということは、そのモノには多くの意味や思いが重ねられるということであり、結果的にその象徴は、多くの意味共有域を持つ多義性を容認することになり、その物事に関係する人の分だけ意味の広がりを持つこととなる。ひいては、曖昧で難解さへと繋がっていく可能性があるが、そのこと、すなわち換喩による象徴を日本人が好んで選択してきたということは、どこかに好ましい事という日本人の総意があったから、ということでもある。


 勿論その総意は、「空間の日本文化」で説かれている「農業中心の村社会」という社会構造にとって好都合なコミュニケーション手法だったからである。そして、歴史書によると、庶民も含め万葉の昔から比喩を込めた「和歌」を好んだとのことなので、曖昧さや難解さにもかかわらずモノとコトを象徴で結ぶことを、同じ日本人として好んでいる自分に、なるほどと思うわけです。


 「iPhoneに 家芸とられて もらい型 米国依存は 黒船以来」

 

2012-05-16

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 - 思考地図:OVALPLAN

「Ⅷ 自然の重視(主観的)と、居住域への入力の影響の強さ(客観的)の間にはつながりがある。人間の仕事が大地に深く、永続的に刻み込まれ、それによって自然と同一化しているからである。この同化は野生の自然の無視に向かい(広大な森林、その三分の一近くが未開発である)、かくて一方では居住域の内向性が強化され、他方では意味いき(記号圏)へのたえざる訴えかけが触発されることになる。事実。人工化/コード化/排除/省略という同じ原理が、人力の影響の強化、象徴の作成の下に横たわっている。第1の様相に属するのは生産の技術であり(水田耕作の「内に向かっての発展」の効果)、第二の様相に属するのは形式化の技術で(真・行・草)、二つのタイプの技術は造園術において合体している。」

  

 ご存じ「カイゼン」に象徴される技術立国日本のお家芸である改良改善は「水田耕作」に源を発し、野生や未開の外部へと向かわない洗練型自然志向として、生産現場から生活域に至るまでひたすら「内向き」に強化されていく。その非効率さをかえりみることなく「内へと向かう」意識は、日本独自の集団意識とはいえ異常としか思えない、とオギュスタン・ベルクは「空間の日本文化」で様々な事例を紹介している。

 例えば、水田耕作における収穫という意味では耕地の拡大の方が効率が良いのは当たり前なのに(朝鮮半島では山間の開墾ははるかに多く事例が有り、地域的には北海道への開墾は明治以降にしかなされなかったなど)耕作面積は拡大されずに既存の水田の改良改善による収穫がひたすら千年以上も続いてきた、とか、人間の居住域も都市に集中し、国土平地への分散居住はされずに、あたかも楽しんでいるのではないかと思えるほど異常なまでの都市集中による過密な住空間の実態がある、と報告している。何故これほどに、外向きに解決していくことを選択せず、というよりも「拒否」しているという表現の方が相応しいほど「内向き指向」が強いのか。結論はさらに次章以降に書かれているのだが、日本人なら誰でも推察は付く理由である。日本型集団主義。

 

 水田耕作という技術事例と一緒に技術の洗練形式として並行してある「真・行・草」が、象徴的に「造園術」において合体してみることができる、と、もう一つの側面である形式主義の技術を紹介している。「真・行・草」は書道の三書体から派生し、お茶やお花、建築、造園など多様な分野で育まれてきた日本的な美の形式である。

 行書を知ったのは20年ほど前で、達筆な毛筆の年賀状をいただく先輩から行書で有名な王羲之の「蘭亭序」を紹介されたときだった。デザイナーの私は即刻写経ならぬ書写に励んだが、三日坊主で終わった。「真」の楷書よりも粋な崩しの行書を、知ってはいたが改めてその格好良さに惚れた事を思い出す。と同時に「草書」はどうやっても辿り着けないエレガンス=洗練に怖じ気づき、見ない振りをしたことも思い出した。今以て草書は、俵屋宗達に始まる淋派などの鑑賞美術の世界でありつづけている。


 かような経験は多かれ少なかれ50、60にもなればどこかでしているもので、何とはなしに日本の美意識には「真・行・草」の三様があることは知っているが、この「空間の日本文化」で改めて、人口化/コード化/排除/省略に備わる形式の定番的処方箋として紹介され、日本においてはそれほどに普遍性の高い暗黙知なのか、と恐れ入った次第です。そしてデザイナーとして、日本のデザインの三様の洗練を知ることができたが「草的エレガンス」は自分には辿り着けない世界だと、知らせれもした読み取りでした。むむ〜

2012-05-12

[][]「70年代ラジカセ、ラジオ 再び」(京都新聞20120512より) 「70年代ラジカセ、ラジオ 再び」(京都新聞20120512より) - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「70年代ラジカセ、ラジオ 再び」(京都新聞20120512より) - 思考地図:OVALPLAN

スカイセンサー、クーガ、カセットデンスケ、、、70年代に一世を風靡したラジカセやラジオが、再びちょっとしたブームになっている、と京都新聞に紹介されていた。1968年にアイワからラジカセ1号機が発売され、70年代に一気に花開いた日本独自のコンパクトオーディオ分野である。


そして何を隠そうこの私めも、ビクターと並んで当時オーディオメーカーの雄であったパイオニアが、満を持して発売したラジカセ(写真)をデザインしていました。勿論オーディオ専業メーカーであるパイオニアが発売するラジカセが普通スペックであるはずはない。TwitterとWooferの2Weyスピーカー、アルミダイキャスト製でホイール効果を搭載したSuperTuner、PioneerBrandロゴの左に配されたヘッドホン端子、、、HI-FIオーディオ象徴する機能のシンボリックなデザイン。我ながらほれぼれとします。HI-FIオーディオからぱくったようなギミックデザインと侮る無かれ。あのポールスミスはラジカセのコレクターで、そのラジカセコレクションの写真が、京都三条通にある京町屋改装のポールスミス路面店の通庭に額縁に入れられてインテリアを飾っている。そして勿論、パイオニアのステレオラジカセも・・・その勇姿に再会した時、感動して「このラジカセの額縁売ってもらえません?」と思わず口走ってました。そして、「そっか〜ポールスミスに会う機会があれば、当時の思い出話できるな〜」などと変な夢想に駆られたのでした。

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今でも思い出すのは、スピーカーを搭載しての音作りの技術検討会に参加した時のことです。高級なHI-FIオーディオをテストする機材が並んだ無響音室で、オープンリールの音源から直接HI-FIケーブルがつながれたラジカセをぐるりと関係者が取り囲み「Twitterをあと2ミリ前に出してみてください。」「ビオラの音がちょっと聞こえてきた、、、」HI-FIオーディオと全く同じ音作りがすすめられていることに、感動しきりでした。そしてその二年後にはステレオ型ラジカセへと進化。コマーシャルソングに起用したシャネルズの"ランナウェイ"を覚えておいでの方もおられよう。一気に6機種が発売され、ラジカセ事業を基軸事業に育てる事業計画が発足したのでした。


「1975年にはその市場規模は年間約1000億円にまで達し、ステレオの約半分を占めるこの市場は、主に中・高校生を中心とするティーンエイジャーで構成され、毎年の新学期には約200万人が新たに加わる魅力的なマーケットでもあった。」と「プロダクトでたどる自分史」サイトで紹介されている。http://www.nipponstyle.jp/history/flash/index.html(1976年と1980年に私がデザインしたラジカセが掲載されています。)先輩から自立してデザインを手がけた、記念すべき年でした。

2012-05-08

[][]「あふれる情報社会に生かすには  IT駆使し「埋没知」活用を」(日経20120504「経済教室」より) 「あふれる情報社会に生かすには  IT駆使し「埋没知」活用を」(日経20120504「経済教室」より) - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「あふれる情報社会に生かすには  IT駆使し「埋没知」活用を」(日経20120504「経済教室」より) - 思考地図:OVALPLAN

増殖する情報を有効利用するために、俯瞰的知識編集の手法を提案する論文が、日経2012年5月4日「経済教室」に掲載されていた。思考地図が提唱する情報俯瞰の空間的文法を活かす場面として注目しておきたい。


あふれる情報社会に生かすには

IT駆使し「埋没知」活用を


坂田一郎

東京大学教授


分野越える知識結集─高齢化など課題解決の鍵


○知識の多くが埋没し有効活用できていない

○情報工学的な手法で大量の知識の分析可能

○埋没知の効率的な利用ヘ人材育成が課題に


 21世紀に入り、電子化された情報が爆発的に増加している。ウェブサイトの数は1億件を超えるといわれる。学術研究から生まれる知についても、同様な傾向がみられる。例えば、DNA(デオキシリボ核酸)に関する主要な研究論文は、分子生物学の祖、J.ワトソン氏とF ・クリック氏が二重らせん構造を発見した1953 年当時、年間100本程度出版されるにすぎなかった。しかし現在では10万本を超え、かっその大半は電子的な形で公開されている。

 今日、人類は地球環境の持続可能性の低下、社会の高齢化、予期しがたい災害の頻発による不安の高まりなど、多くの深刻な課題に直面している。一方で、われわれはそうした課題解決の武器となる知を、歴史上かつてなかったほど大量に手にしている。

 そのため、最新の知識と課題を結びつけて知のフロンティアを開拓することにより、課題解決へのイノベーション(技術革新)を多数実現し、より豊かで、幸福で、安心な社会を構築することが期待されている。同時に、課題解決をてことして大量の知を動員し、社会的なニーズに即した革新的な製品・サービスを生み出すことにより、経済の成長力も高められるだろう。

 しかし現実には、わが国では政府・企業の研究開発投資の効率が悪く、投資により生み出された知識を市場に結びつけられないどころか、社会や市場との接点に乏しい知識が生み出されている。投資から活用までには時差が存在するため容易には効率を測れないが、今日、世界市場でわが国発の革新的製品・サービスが目立たなくなっていることは事実であろう。

 要するに、わが国では利用可能な大量の知と社会の課題や市場が効果的に結びつけられていない。そこで以下では、文書化され利用可能な状態にあるが、実際には利用されずに眠っている知識を「埋没知」と呼び、高齢化社会を例に、いかにして暗黙知を有効するかについて考えたい。

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 社会の超高齢化は、わが国が世界に先駆けて直面している代表的な課題だ。いまだ超高齢化社会のモデルをつくり上げた国・地域は存在せず、提案と実証が待たれている。

 一方で、高齢化社会を乗り切る知恵は既に大量に蓄積されている。東京大学のイッテイパヌワット氏と梶川裕矢氏らの研究によれば、「アクィブエイジング(活力ある高齢社会)」の条件を網羅した世界保健機関(WHO)のガイドを参考に検索すると、高齢化に関する世界の主要な学術論文は8万3千本も存在する。それを時系列にみると、近年劇的に増えている(グラフ参照)。

 しかし、これらの知識は十分に活用されているのであろうか。社会保障制度の持続可能性への不安の高まり、高齢者の引きこもりや孤独死、認知症の高齢者の増加と成年後見人の不足、長期の介護による家族の疲弊、高齢化率の上昇で共同生活の維持が難しくなった限界団地の増加、先端的な医療機器の輸入超過といった様々な課題が存在する。さらに、それらの課題の解決にめどが立たない状況であることを踏まえると、知識の多くが埋没し、有効活用できていない状態にあるといえる。

 原因として様々なことが考えられるが、知識の性格に起因するものを3点挙げたい。1つ目は、高齢化社会に必要な知は極めて分野横断的だということである。それは医学、工学、社会学、法学、経済学など多様な分野の集合によって成り立っている。最近取り組みが強化されているが、わが国の産学は分野を横断して知を開拓したり、活用したりすることを苦手としている。

 2つ目は、知識全体につて定義が十分に定まっておらず、また成熟した分野と違つてその構造も明らかでないため、知識の全体像がとらえにくいということである。全体像が見渡せないと、有用な知識の在りかを見つけることは

難しい。

 3つ目は、冶金工学と造船、薬学と創薬との関係などとは異なり、知識とその応用先との関係が単線的でなく、特定しにくいということである。相互に関連するこの3点は、知識が埋没しやすい条件であるともいえる。

 埋没知の問題を乗り越えるため、最新のIT( 情報技術)を活用した手法として、人の能力の物理的な限界を超えた情報の処理を可能とする情報工学が注目されている。人間には8万本の論文の概要を読むことは困難だが、コンピューターを用いれば短時間で大量の知識を収集し、分析することが可能である。

 コンピューターを利用してデータベースなどの電子化された情報源から知識を適切に取得し、そこに含まれる言葉や引用関係をもとに分析することで目的に応じた編集または構造化を行い、人が理解可能な形で結果を理不する。そうしたシステムができれば、埋没しがちな知の有効活用を大いに促進できるだろう。

 知識の収集については、今日の検索技術を利用すれば、様々な検索語の組み合わせやその自動推薦(関連する言葉の自動的な提案)により、取り出す知識の範囲を自在に設定できる。知識の分析、編集については、収集した知識の自動分類や分類聞の関連づけも可能となっている。


 前述の8万本の学術論文に関して、引用情報に基づく分析により分類してみた。加齢に伴う肉体的・精神的な変化、視力・聴力の障害、知的な障害と俳個(はいかい)の問題、介護や介護する家族への支援の在り方、鬱とメンタルヘルス、運動と転倒防止、記憶の回復、病院におげる支援技術の8つの領域が、高齢化に関する課題の重要な部分集合として浮かび上がる。このように分解できれば、知識全体の理解に役立ち、求める知識も探しやすくなるであろう。

 異なる性格の知識聞のつながりについても、コンピューターで言葉の重複度合いを分析し、専門家の評価を加えることで、つながる可能性の高い候補を抽出することも可能となりつつある。

 超高齢化社会に対する,ロボット技術の応用可能性を調べるため、内容的なつながりの濃淡を視覚的に示す手法である「ヒートマップ」を用いて、先ほどの高齢化社会に関する知識とロボットに関の関係を分析した。す埋め込み型補聴器と復による鬱の抑制、肺前立腺がんと手術支援ロボット、パーキンソン病、関節炎脊髄損傷と足の筋肉リハビリ支援ロボット、孤独や鬱と人間型ロボットペットなどの抽出された。

 従来イノベーション世界では、文書化さていない暗黙知の中に貴重な知見が隠れていると考え、それをいかに早く知り、利用するかが議論されてきた。しかしながら、明文化された知識が爆発的に増加している今日においては、むしろ「埋没知」の有効利用の方が重要性が高い。

 埋没知の効率的・効果的な利用のためには、第一に、前述したような情報工学的な手法を政策や経営戦略の立案過程に導入することが不可欠である。専門的知識を持った人材が別世紀型の手法により構造化された知識を武器にすれば、有用な知識やつながりを見落とすリスクや、重要でないものを重要と見誤るリスクは小さくなる。

 第二に、俯瞰(ふかん)的に事象をみる能力や知識を編集する能力が高い人材を育成することである。情報工学的手法と人間の柔軟性の高い思考能力が組み合わさることで初めて、知識に関する適切な評価や活用が可能となる。このためには、実践も含めた思考の訓練を重視する必要がある。知識の詰め込みゃ狭い範囲の知だけを深く掘り下げることとは異なった教育プログラムが必要であろう。

 より良き未来のために、新たな手法と人材を駆動力として、大量の知を生かした革新的なイノベーションが進むことを期待したい。


さかた・いちろう 66年生まれ

東京大博士(工学)。

専門は産業・科学技術政策論

出典:2012年5月4日 日本経済新聞「経済教室」

2012-05-02

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-3 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-3 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-3 - 思考地図:OVALPLAN

 自然的なものの重視=偶然性へ=同格、類似、同時性が重視される日本では、ロジック型文章=主語述語、原因結果の直線的記述を拒否するために、今ここで書こうとしている「オギュスタンベルクを読む」という行為そのものを不成立とする力が常に働いている、のが日本的なる思考のモデルなのではないか、、、とか何とか言って終了しようとしている?(笑)と捉えられても仕方ないほど、結論へはつながらずひたすら分散し並行的なあれやこれやの考えがアワブクのようにわき上がる。オギュスタンベルクの苦労はいかほどであったろう、と察しながらも、日本人である私にはその分散していく思考の情況が手に取るように分かってきて、すこぶる愉快である。


 結果として日本には、まともなロジックが成立する素地はないことをつくづく思い知らされ、それだけに我が「思考地図」の四方並行展開的モデルが、いわゆる西欧的直線型ロジックとは異なる合意形成のための思考の地平となり得るのではないか、いや作り得るのではないだろうかと幼稚な野望を持ちつつあります。即ち、空間的、俯瞰的ロジックであり、人類共通の非線形論理構造としての「思考地図」なのです。

2012-04-15

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-2 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-2 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7-2 - 思考地図:OVALPLAN

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「主語述語もしくは原因結果的文章より、同格、類似による文章が好まれ、一本の糸でつながれた連続物よりはむしろ、不連続のものが、進行的同時性が歓迎される。」という記述の分かりやすい比較が、引用文献「ことばと空間」牧野成一1978東海大学出版会p15 に表図解がされています。


 日本語「僕は車を運転しません。」(否定辞)とことばの最後にならないと肯定と否定は分からない。

 英語「I do not drive a car.」と主語のすぐ後に動詞があり、結論が冒頭で分かるようになっている。

 こうしたことばの順序が、空間の配列においても類似的に見ることができる、と。

 日本の家では、玄関扉、玄関、(廊下を通って)客間もしくはリビング、ダイニング、キッチンと奥へと並ぶ。最近はスペースの有効利用と米国型のフレンドリーな人間関係が強くなり、ワンルーム型が増えてきているが、それでも大半の家では玄関というグレイゾーンを持たせているのは、日本の語順と似た中間にあいまいな「間」を持たせた関係モデルだと思える。(この「間」については次章で展開される予定)

 それにたいして米国では、玄関扉を開けるといきなりリビングからダイニング、キッチンまで見通せる。すなわち、扉を開くか開かない(奥を見せない)かで住人と客の関係は決定される、という即決型関係モデルで、主語と述語が接近している英語と同じモデルといえる。

 と、ことばと空間の文化比較の論文が紹介されている。


 つづく...

 (この7つめの結論は「空間」展開の要にあり、なかなかに深く面白い、が「しんどい」でもあります)

2012-04-07

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─7 - 思考地図:OVALPLAN

「Ⅶ 現象的与件はその内在的、且つ他に還元しえない論理の故に、主体がともすれば世界に押しつけようとする統合論理に優先する。従って自然的なものの重視は、偶然的なものの重視に結びつく。そこから、主語述語もしくは原因結果的文章より、同格、類似による文章が好まれ、一本の糸でつながれた連続物よりはむしろ、不連続のものが、進行的同時性が歓迎される。運動には違いない。しかしそれは、それぞれの情況(場面)が固有の同時性において自発的に現れ、数珠つなぎにされていくものとしての運動であり、一つの発端を一つの結末に結びつける運動ではない。そしてこれは、美のレベルでは「間」によって、言語のレベルでは言語化度合いの少なさによって、また都市計画のレベルでは、遠くまでの展望、直線配列、主軸大道路の拒否によって現れる。」


 物事は始まりがあり終わりがある。原因があり結果が導かれる。一つの方向性を持つ運動的思考のモデル。物事を事象として書き残す時、人に申し伝えるには、すべからく文字に頼り文章を綴るしかない。その場で周りの人に伝えるためにも言葉を発するしかない。そこでは概ね、主語があって述語がある、起承転結がある、少なくとも一言発する場合でも「かじ(火事)だー」と言語のルールに沿った順序で並んでいる。「じだかー」でも「だじかー」でも「かだじー」でも「じーだか」でも、、、並びが変わるだけで意味は通じなくなる。文字の順序が、即ち始めの文字があって連続した意味を形成する並びに沿って配列される必要がある。連続のための秩序、文法がある。物事の解釈の前提である。と、オギュスタン・ベルクの母国フランスに限らず、アルファベット文字文化、さらに広くは表音文字文化圏での標準的思考のモデルだと。

 

 日本の文化は、この思考のモデルが通じない。自然的、偶然性、同時性から同格、類似、不連続な情況としてしか捉えることができない、(西欧人から捉えると)特異なモデルがある、と。

 つづく・・・

2012-03-25

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─6 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─6 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─6 - 思考地図:OVALPLAN

「Ⅵ 生成の価値の高揚、経路の重視、主体の相対的消滅が当然想定させる非本質主義、場所中心主義(精神的もしくは建築術上の)の基盤となっている近接性に基づく準拠体系、こうしたものすべてが、儀式、外観二つの意味での形式を重要視させる。そこから、実質に対する形式の、人格に対する役割の優位、また、人間関係における顔、視線の決定的機能が生まれる。」

 

 儀式と外観の2つの意味での形式主義が日本文化のモデルである、と。その儀式と外観重視によって「実質に対する形式の、人格に対する役割の優位」という機能が生み出される、と。


 日本人にとっては、概ね納得いくモデリングである。勿論形式よりも実質を、役割ではなく人格で、と思いたいところも多くあり、実際にもそのような行動も無くはないが、仕事の世界、親戚や近隣とのお付き合いの世界では「実質に対する形式の、人格に対する役割の優位」に添った行動となることが多いと思う。(多くの場合、波風を立てたくない、前例に倣えば言い訳できる、時代の空気がそうさせる、といった日和見主義がそこにある)


 前回に振れた東大話法としてあげられた「立場主義」は、概ねこの「形式と役割の重視」という行動主義と同じではないでしょうか。東大話法では「立場主義」の問題点が浮き彫りにされ、原発危機への原因となったと書かれているが、もしそうだとするならば、前回にあげた「プロセス偏重」(このプロセス偏重も形式と役割偏重に起因する行動様式といえる)も合わせ、日本人にとって再考察すべき思考モデルの課題ではないかと思うのです。


 大変重たい課題です。ある面ではどうしようもない課題、見て見ぬ振りをする課題としてこれまでは暗黙知ならぬ暗黙課題として先送りされ続けてきた課題でしょう。おそらく800兆円という途方もない借金を抱えさらに増やし続けている日本と、(予測はできたにもかかわらず耳をフタしてきた結果招いた)数百年に一度の天災によって引き起こされた大災害と原発危機とは、上記の形式と役割の重視、プロセス偏重や立場主義が、即ち日本的なる文化性が直接的ではない(が故にたちが悪い)遠因として働いていると思うのです。


 日本文化が悪い、と天につばを吐いても詮無いこと。課題を発見しつつその解決策をも見いだしたい、との思いから「空間の日本文化」オギュスタン・ベルクを読み進めていきたいと思います。

空間の日本文化 (ちくま学芸文庫)

空間の日本文化 (ちくま学芸文庫)

2012-03-20

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─5─展開 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─5─展開 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─5─展開 - 思考地図:OVALPLAN

「空間の日本文化」14の結論と東大話法20の規則の照合 その1

「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─5にて、プロセス偏重は東大話法のどれか・・・と書いてしまったので、20個の東大話法規則との関係を照合しておきたいと思います。

※東大話法はこちらを参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/東大話法


規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。

─東大話法の本の後半に纏まった論として分析的に書いているのがこの「立場主義」で、オギュスタン・ベルクの「プロセス偏重」と共通するのは、立場を重視していることなので本音的には現状にはこだわらない、結果に対しても重きを置いていない、結果としてゴールはあるが必ずしもこのゴールにこだわらない、といった何とも煮え切らない、その結果ゴールに辿り着けなくてもプロセスへの満足度が重視されるので、よくやった!結果はどうあれ満足すべき成果は得られた、等と自己満足の弁で閉じようとするところは、立場主義と同根であると思います。私が君の立場だったら十分な成果を得たと自信を持つだろう、等と結果が出なかったことに対する態のよい言い訳を相手のために考えてあげる、というその相手をおもんばかる態度を由とする習慣が日本社会にはある、と思います。


 この東大話法規則1立場主義とプロセス主義は、どうやら日本人の基底をなすひとつの思考形態ではないかと思うのです。少なくとも私の中には充満していますし、こうした態度を維持し努力する話を聞くと、感動してしまう自分があります。(自分ができない分、他人のこうした態度に感動を覚えます)


 よって、このプロセス偏重と立場主義は東大話法ではなく、日本的思考法1と位置づけ、その功罪について議論されていくことを願っております。特に、空間の日本文化ではプロセス偏重は日本の思考モデルであるとしているだけだが、一般的には美徳的な地位を持つことも多いと思うにもかかわらず、東大話法では原発危機を招いた要因の第一番に据えている、すなわち、改めなければ繰り返す過ちの元凶だとの指摘との関係を、どのように日本人は今後考え行動していくべきなのか、という議論を、広く展開すべきではないかと思う次第です。


 この議論展開は決して立場主義ではなく本音として、展開というプロセスではなく結論としての日本人の思考モデルの(修正、変更に関わらず)共通認識を目標とすべきではないかと思います。その意味で、私なりに「空間の日本文化」14の結論と東大話法20の規則の照合、を進めてみたいと思います。