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2012-05-16

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─8 - 思考地図:OVALPLAN

「Ⅷ 自然の重視(主観的)と、居住域への入力の影響の強さ(客観的)の間にはつながりがある。人間の仕事が大地に深く、永続的に刻み込まれ、それによって自然と同一化しているからである。この同化は野生の自然の無視に向かい(広大な森林、その三分の一近くが未開発である)、かくて一方では居住域の内向性が強化され、他方では意味いき(記号圏)へのたえざる訴えかけが触発されることになる。事実。人工化/コード化/排除/省略という同じ原理が、人力の影響の強化、象徴の作成の下に横たわっている。第1の様相に属するのは生産の技術であり(水田耕作の「内に向かっての発展」の効果)、第二の様相に属するのは形式化の技術で(真・行・草)、二つのタイプの技術は造園術において合体している。」

  

 ご存じ「カイゼン」に象徴される技術立国日本のお家芸である改良改善は「水田耕作」に源を発し、野生や未開の外部へと向かわない洗練型自然志向として、生産現場から生活域に至るまでひたすら「内向き」に強化されていく。その非効率さをかえりみることなく「内へと向かう」意識は、日本独自の集団意識とはいえ異常としか思えない、とオギュスタン・ベルクは「空間の日本文化」で様々な事例を紹介している。

 例えば、水田耕作における収穫という意味では耕地の拡大の方が効率が良いのは当たり前なのに(朝鮮半島では山間の開墾ははるかに多く事例が有り、地域的には北海道への開墾は明治以降にしかなされなかったなど)耕作面積は拡大されずに既存の水田の改良改善による収穫がひたすら千年以上も続いてきた、とか、人間の居住域も都市に集中し、国土平地への分散居住はされずに、あたかも楽しんでいるのではないかと思えるほど異常なまでの都市集中による過密な住空間の実態がある、と報告している。何故これほどに、外向きに解決していくことを選択せず、というよりも「拒否」しているという表現の方が相応しいほど「内向き指向」が強いのか。結論はさらに次章以降に書かれているのだが、日本人なら誰でも推察は付く理由である。日本型集団主義。

 

 水田耕作という技術事例と一緒に技術の洗練形式として並行してある「真・行・草」が、象徴的に「造園術」において合体してみることができる、と、もう一つの側面である形式主義の技術を紹介している。「真・行・草」は書道の三書体から派生し、お茶やお花、建築、造園など多様な分野で育まれてきた日本的な美の形式である。

 行書を知ったのは20年ほど前で、達筆な毛筆の年賀状をいただく先輩から行書で有名な王羲之の「蘭亭序」を紹介されたときだった。デザイナーの私は即刻写経ならぬ書写に励んだが、三日坊主で終わった。「真」の楷書よりも粋な崩しの行書を、知ってはいたが改めてその格好良さに惚れた事を思い出す。と同時に「草書」はどうやっても辿り着けないエレガンス=洗練に怖じ気づき、見ない振りをしたことも思い出した。今以て草書は、俵屋宗達に始まる淋派などの鑑賞美術の世界でありつづけている。


 かような経験は多かれ少なかれ50、60にもなればどこかでしているもので、何とはなしに日本の美意識には「真・行・草」の三様があることは知っているが、この「空間の日本文化」で改めて、人口化/コード化/排除/省略に備わる形式の定番的処方箋として紹介され、日本においてはそれほどに普遍性の高い暗黙知なのか、と恐れ入った次第です。そしてデザイナーとして、日本のデザインの三様の洗練を知ることができたが「草的エレガンス」は自分には辿り着けない世界だと、知らせれもした読み取りでした。むむ〜

ゲスト



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