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2012-06-15

[][][][]「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 - 思考地図:OVALPLAN を含むブックマーク はてなブックマーク - 「空間の日本文化」オギュスタンベルクを読む─9 - 思考地図:OVALPLAN

 前回から一ヶ月あいてしまいましたが、前回の-8に繋がった内容です。


「Ⅸ この二つの傾向(構築されたものの形式化と、文化の自然との同化)は、物質的なものに対する社会的なものの関係すべてにわたってみられ、物質的なもの(外包物)と社会的なもの(内容物)の間のたえざる換喩(メトニミー)関係に姿を現している。この事実から、社会的なものは、その具体的な枠組みと同一化する(家屋はそのまま家族であり、農地はそのまま村落共同体である)。この同一化は結果として、社会的な種々の要素をそれぞれの場所に深く根付かせることになる(この点では場所中心主義も参与する)。それと同じ同一化が、社会的なものを生物的なものに結びつけ(集団同士の関係の擬血縁性、コンセンサス)、類似の結果を生む(隣接する集団に対する集団の明確な自己確立、集団中心主義)。」


 「物質的なもの(外包物)と社会的なもの(内容物)の間のたえざる換喩(メトニミー)関係に姿を現している。」

隠喩・換喩・提喩の違いはネットで見て頂くとして、一部を持って全体を指し示す換喩(メトニミー)は、省略化、単純化を推し進め「ひとつのモノで多くのコトを象徴」する。例えば「僕の家では・・・」と言うとき、「家」は家屋という形をさすと同時に家族のことや家庭の風俗習慣全てを包含したものを指し示す。「家」という存在は家族とその生活全般の象徴なのである。象徴として扱われるということは、そのモノには多くの意味や思いが重ねられるということであり、結果的にその象徴は、多くの意味共有域を持つ多義性を容認することになり、その物事に関係する人の分だけ意味の広がりを持つこととなる。ひいては、曖昧で難解さへと繋がっていく可能性があるが、そのこと、すなわち換喩による象徴を日本人が好んで選択してきたということは、どこかに好ましい事という日本人の総意があったから、ということでもある。


 勿論その総意は、「空間の日本文化」で説かれている「農業中心の村社会」という社会構造にとって好都合なコミュニケーション手法だったからである。そして、歴史書によると、庶民も含め万葉の昔から比喩を込めた「和歌」を好んだとのことなので、曖昧さや難解さにもかかわらずモノとコトを象徴で結ぶことを、同じ日本人として好んでいる自分に、なるほどと思うわけです。


 「iPhoneに 家芸とられて もらい型 米国依存は 黒船以来」

 

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